夜風に当たりたかった、ただそれだけのことさ

 夜風に当たりたかった------ただ、それだけのことさ

 月と星の観察を始めて、もう七年になる。
 ホグワーツ魔法学校へ入学したその日から、私は毎日みんなが寝静まったころ、寮の自分の部屋を抜け出て、誰も来ない寮の最上階で月と星を観察していた。それは、私の家が代々月と星を読み解き、予言を成す能力に長けているから、家業を継ぐために修行をしているのだ。最初のころは、親からの吼えメールが怖くて半ば無理やり月と星の観察をしていたが、慣れてしまえば都なのか、私は喜んでとはいわないまでもこの時間が楽しいと思える。
 たとえば、そう、二年前から満月になるとホグワーツの構内を徘徊する動物たちを観察することだ。狼と犬と鹿と鼠。この種の違う動物たちが仲良く駆け回るのは、それが普通ではないという証だ。彼らはきっと、魔法生物か……アニメガースでなんらかの意志が働いているのだろう。
 最初は、狼が一匹だけだった。暴れ柳の近くから「寂しい」と啼く慟哭のような狼の声が聞こえていた。私は、それが人狼だと気がついたのは、三年生の授業が終わるころだった。
 その人狼に心当たりがないわけではない。……同じ寮で同じ学年の「悪戯仕掛け人」と呼ばれている四人のうちの誰かだろう。二年前の満月の次の日から、彼ら四人はそろいもそろって寝不足に悩まされ、悪戯の数もその日だけは減る。そして、満月の日の夜は、寮に戻らないらしい。私が、月と星の観察をしていて見かける不思議な動物たちの数は、四匹。
 偶然とは言い切れない符号だ。
 私が気がつくぐらいだから、グリフィンドール生はみんな気がついているのだろう。気がついていても、仲間だからとか、大人たちにひどい目に合わされるとか、いろんなことを思って彼らのことを気がつかないふりをしているのだ。
 私は、そんなグリフィンドールが大好きだ。
 気がつけば、そろそろ戻らないと寝る時間がなくなってしまう。私はインクの乾いた羊皮紙をたたんで、インクつぼと羽ペンと一緒にかばんに詰めた。もう一度、夜空を見上げる。
 今日は、弦月だ。
 石造りの階段を足音を忍ばせながら、降りていった。周りが静かだから、どんなに気をつけても乾いた石の音が響く。
 ……そういえば、寮の最上階は誰も見回りに来ない穴場スポットなのに、この七年間誰にも会った事がなかった。異性を意識しだしたころは、「先輩のカップルたちがいたらどうしよう」と余計な心配をしたものだが、そんな場面に遭遇したことは一度もない。私自身もそんなことをする相手がいなかったので、いつも真夜中の散歩は一人きりだ。
 ひとつ階を降りたところの踊り場に、人影があった。ランプ灯火の陰に隠れて誰だかはわからない。私は、手にしていたランプを掲げて、それが「悪戯仕掛け人」で監督生のリーマス・ルーピンであることに気がついた。
「……これって、減点?」
 寮内規則には、『必要がない限り、夜中に出歩いてはいけない』というルールが書かれている。ダンブルドア先生は、私が家業を継ぎたいと思っていることをご存知で、夜中に月と星の観察をすることを黙認してくれている。だけれど、ルーピンは知らないだろう。
「ん……本当はね、三点は減点かな……」
 どこかぼんやりした様子で、ルーピンは答えた。パジャマ姿で、眠そうといえば眠そうだけれど、夜中にこんなところで立っていて、偶然すれ違ったわけではないからまるで、私を待っていたみたいだ。
「君は、何をしていたの? 夜中に」
 夜、部屋から出て散歩していたことを減点しない口ぶりだったのに、ルーピンの口調はどこか厳しい。
「夜風に当たりたかった」
『月と星の観察』とは言えなかった。私はまだまだ、月読みとしては未熟で明日を予言することすらしてはいけないのだ。ホグワーツを卒業すれば、みんな成人の魔法使いや魔女と認められるのに、私は一人前として認められるにはまだ、時間が必要だ。だから、月読みであることを悟らせるようなことは口にしてはいけないのだ。
「毎日?」
 ますますルーピンの眉間にしわがよった。普段はやさしい表情しか見せないのに、今日に限ってこんな厳しい顔を見せる。しかも、私が毎夜、部屋を抜け出していることを彼は知っていた。
「……そういう時だって、あるでしょう」
「何時間も?」
「ルーピン、どうして私の行動を逐一知っているの?」
 私の何気ない質問に、ルーピンは返答に窮したようだ。言葉に詰まって、私から視線をそらした。その隙に、私はルーピンの脇を通り女子寮に戻ろうとしたら、右手を掴まれた。
「君は、毎夜いる。満月の夜に、奇妙なものもみているだろう……?」
「狼や、犬、鹿、鼠のこと?」
 私は、それが奇妙なものだとは思わない。不思議なものだとは思うけれど、人間に害をなすようには見えないし、アニメガースなら動物としての能力を堪能しているだけに見えた。だけれど、ルーピンはいい意味には受け取らなかったらしく、私を掴む手に力を込めた。
「何か、気がついたんじゃないの? その動物たちに」
「何を?」
「こそこそと調べていただろう。図書室で」
 ルーピンの逆鱗に私は触れたらしい。掴まれた右手をルーピンに思いっきりひっぱられて、私は気がついたらルーピンの懐にいた。能面のように表情を消したルーピンが、私を見下ろして壁際に追い込んだ。
「ごまかしても無駄だよ。君は……・クジョウの名前で『月と魔法生物』、『月の魔力』っていう本を図書室から借りている」
 それは、月読みとして読むべきだと親からのふくろう便で書かれていたから、借りたものだ。そこには、……人狼のことが書かれていた。
は、知ってしまった。……どうする、そのことをみんなに言うかい?」
 私を見下ろすルーピンの双眸が、獲物を狙うかのようにきらり、と光った。その瞬間、誰、とは特定できなかった人狼が彼であることに私は気がついた。
「私は……何も知らない。その本を借りたのだって、私の進路のため」
 私は、あなたの秘密に気がついたことを決してあなたには悟らせない。多くのグリフィンドール生がそうやって、大好きな友人たちを守るために「知っているけど、知らない」ふりをしている。
 私も、そんなグリフィンドール生でありたい。
 悪戯ばかりして、ときには迷惑を被ることだってあるけど……私は……私やほかのグリフィンドール生はそれでも、彼らが好きなのだから。
「進路? ……だって、はグリンコッツ銀行希望なんだよね?」
「私……本当は……」
 友人たちにはグリンコッツ銀行希望だと、言っていた。日本に支店があってそちらに就職希望だと。私の進路はすごく普通で誰も疑問を持たない。ルーピンが私の希望進路を知っていたのには、少し驚いた。
「本当は、グリンコッツ銀行に就職はしていないの。本当は……」
 いまだに能面のような何も伺わせない無表情で、私の頭の両脇に両手を壁について見下ろしているルーピンは、急に切なそうに微笑んで、右手の人差し指を自分の唇の前に置いた。
「誰だって、言いたくないことの一つや二つは、あるよね……嫌なら、言わなくていいよ」
 僕だって、進路は決まってない。とどこかあきらめた様な言い方をルーピンはしていた。私は、言いたくないわけではないけれど、『未熟な月読みであること』が知られた場合の周囲への影響のほうが怖かった。
 月読みは、未熟者でも多少の未来を読むことができるから、後先考えずに誰にでも未来を読んでしまう可能性があるから、正式な資格を持ったもの以外は誰が月読みができるのかは秘密にされている。
「それと、ごめん。こんな風に詰問するつもりはなかったんだ。ただ……」
 ルーピンは壁についていた手を放して、いまだに壁に寄りかかっている私に向かって言った。
「僕にも大事な仲間がいて、彼らのことを守るなら、なんだってできてしまうから」
 そうか、ルーピンが人狼なら残りの犬、鹿、鼠は残りの悪戯仕掛け人たちがアニメガースになった姿なのだろう。未成年のアニメガースは禁止されているから、彼らは文字通り法律を破ってまで、友情を貫こうとし、ルーピンは彼らの名誉を守るために私を待ち伏せしたのだろう。
「じゃ、私はもう部屋に帰るね」
 何事もなかったかのように、私は女子寮へと向かった。ルーピンは、もう一度私の名前を呼んだ。
、おやすみ」
「ルーピンも」
 私は、振り返って男子寮に向かおうとするルーピンに挨拶をした。鳶色の髪が、窓から漏れる弦月の月の光にさらされて、淡く光っていた。
 秘密に気がついてしまったことは、誰にもいわないし。気がついたことを貴方たちにも悟らせない。
 恐ろしいことに、勇敢に立ち向かうのが勇気なら、友人のためどんなことがあっても、黙秘し続けるのも勇敢で、勇気のあることに違いない。


「……と、そんなことが七年生の卒業間近にあったね」
 ここは、グリモールプレイス。私たちがホグワーツを卒業してから、もう十年近く経とうとしている。白髪混じりになったルーピンと、アズガバンから脱獄してきたブラックと私は、ダイニングルームのソファで向かい合わせに座って、あのときの話をしていた。主に話していたのは、ルーピンでブラックは黙って聞いている。
 ルーピンと会うのは卒業してから四回目だ。一回目は、リリーとポッターの結婚式。二回目は、不死鳥の騎士団のメンバーとして、三回目は、ポッター夫妻の葬式で、そして、四回目は再び結集した不死鳥の騎士団のメンバーとしてだ。
 何度も顔をあわせているが、七年生のあの日の出来事が話題に上ったのは今日が初めてだ。
「あの頃僕は、のことがよくわからなかった。七年間も一緒にいたのに、あまり話したこともなかったし。どこかすべてを見透かすようなそんな瞳を持っていたからね」
 ルーピンの申し訳なさそうに話す顔が、いつかのホグワーツで見た少年の頃の顔立ちと重なって見える。
「すべてを見透かしているから、僕のことも知っていて、だから図書室でああいう本ばかり読んでいるのかと思っていた……僕を退治しようとしてるんじゃないか、とか、違法アニメガースになったシリウスたちを訴えようとしてるんじゃないかとかね」
「そんなことしようとしてたわけないじゃない」
 私は苦笑交じりに答えた。あの時は、自分のことに必死で少しでも、月読みのこと、星を読むことそればかり気にしていた。
「でも、君は僕が人狼だと明かしたとき、ぜんぜん驚かなかったじゃないか」
「だって、それは……」
 もう、時効だろうか。グリフィンドール生全員が、彼らの秘密をどことなく知っていて、黙っていたことを。
「お前、あの時あれほど俺たちが止めたじゃないか。は、そんなことしないって」
 ブラックがあきれた様に、ルーピンに言った。
 止めた……?
「お前が珍しく監督バッチをパジャマの上につけて、出て行こうとするから俺が話を聞いたじゃないか。そうしたら、『にばれてないか気になる。気がついていたら、口封じをする』なんて、物騒なことを言い出すし」
「だって、あの時は……世界情勢がアレだっただろ……僕も不安だったんだ。なのに、シリウスやジェームズ、ピーターときたら……!」
『そんなことしねぇでも大丈夫だって』
『彼女だってグリフィンドール生だ。なにが勇気か知ってるはずだ』
はとっても優しいから、そんなひどい事はしないよ』
 そう、口々にいってルーピンを止めたのだが、彼はそれを振り切って部屋を出て行ったのだそうだ。
「大体、なんであの時あんなに彼女を信じられたの? 同級生でだけだよ、僕たちのことずっと苗字で呼び続けたの」
「あ……それは」
 日本人として、名前を呼ぶのは抵抗があったからだ。
「俺たちは知ってたんだよ」
 ブラックはさも当然といった顔で、ソファにもたれかかっている。そんな姿も優雅に見えるから、高貴な育ちは得だ。
「公然の秘密って奴かな……が月読みの修行中の身だってことを」
「え?!」
 私は思わず口から声を出していた。
 公然の秘密……?!
 まさか……。
「なんで、俺たちが夜中、見回りのない寮の最上階に行かなかったと思う? みんな知ってたんだ。雨が降っても、雪が降っても、どんなに寒くても、どんなに暑くても、毎日欠かさず二時間かけて、月と星の観察をしている、月読みの卵がいることをな」
 そんな!
 確かに、私は月と星の観察をしていて、邪魔をする人に七年間一度も会うことがなかった。たった一度だけ会ったのは、月と星の観察が終わった後にルーピンが待ち伏せていただけだった。
「月読みの後継者であることは、知られちゃいけないんだろ? いろいろ狙われるだろうしな。だから、俺たちはが変な行動をしても、見ない振りをしたし、月読みだってことも気がつかない振りをしていたんだ」
「知らなかった……」
 子供たちの決心は、純粋で固い。ホグワーツはなんて、素晴らしいところだったのだろう。
「だから、僕を止めたんだね……って、そのとき教えてくれてもいいじゃないか!」
「あの時、俺たちがのこと教えてたら、リーマスは、に占わせようとしただろ」
 ルーピンは図星だったのか、言葉に詰まってブラックから、視線をそらした。それがあの頃とまったく変わっていないしぐさだったから、私はくすくすと笑った。
「まあ、もっとも、お前はそれ以外でもが気になってたようだけど……」
 ブラックがにやり、と悪戯っ子のような表情でルーピンに向かって笑った。ルーピンは、そんなブラックの表情を一瞥した。
「あの時は、将来が不安だったから聞いてしまったかもしれないけど」
「ほらみろ」
「でも、そんなことしたら月読みの後継者ではなくなってしまうのだろう? 僕がそんなこと、友人にするわけないじゃないか」
 ああ、グリフィンドール生ってどこかやっぱり、みんな似ている。悪戯仕掛け人たちの秘密を守っていた私たちは、みんなが口々に「友人のため」「大好きなあの人のため」と言っていた。秘密を守ることが正義であれば、勇気を持って果敢にそれに挑み続けるのだ。
「……ところで、
 いつの間にか移動したのか、ルーピンは私の隣に腰掛けた。私の左手をじっと見つめた後、恭しく私の左手を手に取り、ルーピンは厳かに言った。
「今日、一緒に夕食でもどうかな? ……君が、嫌でなければ」
 相手を気遣う台詞を必ず言うのも、学生の頃から変わらないルーピンの話し方だった。彼が人狼であるということが、少なからず性格に影響しているのだろうけれど、その話し方が私には親しみやすくて、好きだった。
「やれやれ、邪魔者は家で静かに食べててやるよ」
 ブラックが、意味ありげに私を見てそれから、ルーピンをみてにやり、と笑った。そんな表情をするのは、なにか「良くないこと」を思いついたときだと、学生の頃から知っている。
「ルーピンとなら嫌じゃないわ。どこへ行くの」
 ルーピンはにっこり笑って、私の手をとり私をソファから立たせた。相変わらずブラックはニヤニヤ笑いをしたままだ。ルーピンは、そんなブラックを一瞥して、わざと咳払いをして私をブラックの生家から連れ出した。
「僕たちもう少し、仲良くなってもいいと思うんだ……同じ寮だったし。卒業してからも縁があるみたいだし」
 ブラックの生家から出たときに、私たちは手を離して並んで歩いた。ルーピンにしては、珍しくぼそぼそと、なにかいいにくそうなことを遠まわしに発言しているようだ。私が、不思議そうに背の高いルーピンを見上げると、その肩越しに弦月の月が冴え冴えとした光を放っている。
「僕が……君の事を学生の頃、憧れていた……と言ったら、どう……思う?」
 私は、声にならないほど驚いていた。ルーピンを凝視して、瞬きを忘れていると、ルーピンのほほが僅かに赤く染まっていくのを見て、冗談ではないことを知った。
「あの……ありがとう」
 ホグワーツにいた頃は、色恋沙汰は私の世界から遠いところにあった。活躍する先輩たちをカッコイイと思ったことこそあれ、それが恋に変わることはなかった。だけれど、「寂しい」と慟哭する狼を発見して、やがて増えた仲間たちを面白いと思いながら、観察したのは名前も付けられなかった淡い恋心だったのかもしれない。
 知らないうちに、彼のことを目で追っていたのだろう。誰もいない、私しかいない特別の場所で彼を見るのはたまらなく嬉しくて、貴重なことだった。
「私も、ルーピンのことは……憧れていたわ……誰にも言わなかったけれど」
 私が素直に伝えると、ルーピンは驚いたように目を見張って、今まで見たことない優しい笑顔で私を見下ろした。
「ありがとう」
 優しい声と、優しい笑顔に私の鼓動は高まる。
 そっと右手に触れた、私より体温の高いルーピンの手が私の右手に指を絡めるのと同時に、私の心も彼に絡めとられてしまっていた。
 夜風が、私の頬をそっと撫でていく。それは、冷たい風であるはずなのに私の少しだけ赤く染まった頬には、優しく心地のいいものだった。
 どうか、この優しい気持ちを彼と共有していますように。



ひとこと

一言感想などにご利用ください。レス希望の方はチェックを忘れずに。匿名可能です。

一言:名前: レス希望: