私が武芸に秀でているとわかると、田村の殿はすぐに私を伊達政宗への献上品として扱うことにした。田村の殿は……一般的な城主であり、戦国武将でもあったので予想範囲内の答えであった。ただ、私を驚かせたのは、愛姫が私を拾ったのが「稲荷神社」だというと激しく激昂したのだ。
愛姫は突然の父の怒りに、身を竦ませ頭を下げている。その場にいた、殿の側近たちもあまり良い顔をしていない。
「お許、来つ寝であったか」
「きつね……? 」
動物の狐のことだろうか。しかし、私はどうみても霊長類のヒト科であって、狐には見えないと思う。
「お許たちが、自分たちのことをなんと呼んでいるか、人である我らは関知せぬ。しかし、来つ寝であるなら、その不思議な武術も造作もないことよ」
人である我ら……?
殿は、私が人間ではなくて狐で、自分たちだけが人間だとでも言いたいのだろうか。
「来つ寝の得意は、術は術でも房術に長けていると相場が決まっておる!伊達どのを魅了しても構わないが……愛を裏切る出ないぞ」
房術って……私が得意そうに見えるのか?いやいや……それより、どうも殿の言うことがよくわからないのだけれど。
狐が人間……といえば、有名なのは安倍晴明の母親が「葛の葉」と呼ばれる狐の女性だということ。信太の杜に住んでいたらしいということ。当時は、殿上人でなければ人ではなかったと言われている。辛うじて、殿上人であった晴明は「人」であったけれど「葛の葉」が殿上人であった可能性は低い。殿上人はなかなかなれるものではないからだ。すると……「人ではない」身分であった「葛の葉」は、「きつね」と呼ばれている人達だった可能性がある。
「がそのようなことをするはずはありませぬ! 父上、愛は、を信じております」
「愛や……そなたは、まだ、世を知らぬだろうが、来つ寝といえば、漂白の白拍子のこと、愛が口をきいていいものではない」
「父上では拉致があきませぬ! 一人、伊達軍に差し出すのは人質のようではありませんか」
「は、人ではない! 」
なんだかよくわからないうちに、私は人ではないと決まってしまったようだ。なんだ、珍獣扱いか。
愛姫は苛立ちまぎれに立ち上がり、私の手を引いて立たせると殿が止めるのもきかずに部屋から出てしまった。
「愛姫様……よろしいんですか? 」
激情に任せて廊下を踏み荒らすように歩いている愛姫の後ろをついて歩きながら、私は聞いた。親子喧嘩だけれど、原因は私にあるみたいだからほうっておくわけにはいかない。
「は、なんとも思わないの? 」
「きつね、と言われても私には、なんのことか」
愛姫は部屋に戻ると紙とすずりを用意して、何も知らない私に説明をしてくれた。どうやら、私が「きつね」と聞いていたのは「来つ寝」と書くらしく、遊女の集団のことをさすようだ。確かに、自分の娘がどこぞの馬の骨とも知らぬ遊女と思しき人物を拾ってきてしかも、侍女にしていたら怒りもする。でも、なんで私を「来つ寝」だと思ったのだろう。あの変な技なら、政宗だって雷ばちばち身体から発していて、あれこそ「人でない」って感じだった。
もともと、私がこちらに来たとき倒れていた稲荷神社は、「鋳成り」と言ったらしい。鋳成りとは即ち、製鉄業(タタラ場)に従事する人たちのことをさしていて、大和朝廷は先住民である製鉄業に従事する人々を武力で持って支配しようとした。それに従わない人々が、「人ではない」と差別され「来つ寝」とか「土蜘蛛」とか「河衆」とか言われていた。その「人ではない」人たちは、不思議な力を持っていることが多いのだという。
「そうはいっても、かの義経公は天狗に修行をつけてもらって強くなったそうだから、強くなりたい武士たちは、天狗や土蜘蛛に稽古をつけてもらっていることもあるわ」
いまが、戦乱の世だから境目が曖昧なのでしょうね、と愛姫は微笑んだ。愛姫は、私が人でないかもしれないのに恐れたそぶりはない。
差別はひどいとは思うけれど、正体を説明しづらい(特に、出身地関係)私にしてみれば、「人ではない」と名乗っておけば煙に巻くことも可能だろう。「人ではない」私に、どれだけの器量を示せるかが、その人の器の大きさも計れよう。
その点、愛姫は満点といって良いだろう。私のことをちっとも恐れていない。
「姫は、私が恐ろしくはないのですか? 」
「恐ろしい……? 貴方の武術が強いから?そんなことは怖くないわ」
「人ではないかもしれないことに」
愛姫は私のせりふを聞いて、鈴のようにきれいな声で笑った。
「本当に怖いのは、生きている人の意思であり、執念よ。きっと、もお目にかかるわ」
お城の中で大切に育てられて、世間を知らないだろうと愛姫のことを思っていたが、だいぶ評価を変える必要があるみたいだ。愛姫は、頭の回転も悪くないし、知恵も回る。器量も、男ならさしずめ「名君」といわれても良いほどの深い器だ。
天下を目指す男の正室は、やはりこのような人ではないと勤められないのだろう。……本人の気持ちは考えないでおいておくとして。
「もし、私が来つ寝だとして……殿を魅了したら、姫様はどう思います? 」
意地悪い質問だろうか。
愛姫は、切なそうに微笑んで、言葉を選んでるかのようにゆっくりと答えた。
「男が側女を持つのが世の慣わし。殿の手がついたら側室になれよう。がそれで幸せだというのなら、魅了するもよし。側室と正室では格が違う。常に正室の陰に隠れなければならないのが、側室の役目。がそれで満足するとは思えないわ」
「……そんなに大変なら、小十郎様の妻というのなら、幸せかもしれませんね」
確か、まだ小十郎は独身だ。身分を考えて、私が政宗の側室になるよりかは、いまや、同じ伊達軍の一員である私と小十郎の結婚の方が可能性としてなくは無い。もっとも、愛姫が小十郎を好きなのではないか、と私は疑っているのでもちろん、これはかまをかけただけだ。
「小十郎のことが、好きなの? 」
わずかに愛姫の声が震える。心なしか、愛姫の顔が青ざめている。
「……素敵な方だとは思いますが……残念ながら好みの殿方ではございません」
愛姫を安心させようと、私は素直に思ったことを答えた。とはいえ、小十郎もいい歳だ。そのうち誰かと結婚するんじゃないだろうか。そうしたら、愛姫はどうするんだろう。
「確かに……よくよく考えれば、小十郎とはいい釣り合いね……殿に話してもいいかもしれないわ」
逆襲だ……。
「ちょっ……待ってください」
「あなたが言い出したのじゃない」
「姫様だってご存知でしょう。私は、いつかはこの世界からいなくなります。そんな者と結婚させられたほうはたまったもんじゃないでしょう」
「でも……小十郎はともかくとして、あなたに縁談の話はこれからあると思うわ」
「そのときは、子が孕めないと言います。……理由が理由ですから、先方から断ってくれるでしょう」
愛姫は、なにか言いたそうな表情をしたが、ため息をついてその表情を消した。
「父上は、貴方ひとりで伊達軍に加えさせるわ……できれば、私は貴方の助けになるように田村の者を数名連れて行ってほしいのだけれど……父上を説得できなかったらごめんなさい。父上は、伊達に縋りたいけれど、伊達が揺らぐかもしれないから恐ろしいのね」
伊達が揺らぐ……おそらく、政宗の弟、竺丸を伊達の跡継ぎとしたい母親、義姫との確執のことだろう。私は大まかなことしか知らないが、実の子をそこまで憎めるのが恐ろしい。もし、政宗が確執争いに敗れ、竺丸が伊達家の総領となった場合、田村家はその余波を食らって、お家存続が危ういだろう。なにせ、敗れた方の正室になる予定なのだから。そうなった場合に備えて、余力は残しておきたい。というのが、田村の殿の腹の内だろう。
その考えは、分らなくは無いが……一度、味方すると決めたのだから、とことんやらねば忠義に厚いことが示せないと思う。それに、中途半端に出し惜しみをして、負けてしまったら「全力を尽くしていれば……! 」と後悔すると思う。
「私一人でも、十分でございます。愛姫様のため、尽力を尽くしましょう」
誰かのためって、ガラじゃないけれど。こちらの世界の人にしてみれば、怪しい服装の私を助けてくれて、しかも身を気遣ってくれた愛姫のためなら、戦えると思った。
私が伊達家の献上品として贈られる日取りはすぐに決まった。どうやら、政宗は合戦が間近にあるというのを予想しているようで、早く私を伊達軍に引き合わせたいらしい。愛姫に伊達軍の状況をこっそりと聞いたところ、畠山氏がきな臭いということであった。
私の知っている史実がこちらの世界と同じであるならば、それはきな臭い以上の出来事が起こるだろう。
わずかな荷物を持って、米沢城へついたときにはすでに、日も落ちかけていた。真っ赤な夕日に照らし出されるお城を見て、まるで俳句の世界だ、と漠然と私は思った。