私は、その後小十郎につれ回され、住む家の準備やら、もろもろの事務処理に追われていた。私にあてがわれた屋敷は、もう、びっくりするほどのお屋敷で、小十郎の住んでいる屋敷よりは小さいけれど、私の世界で住んでいた家とは大違いの邸宅だった。
一人で住むには大きすぎる、と思っていたら小十郎曰く、俸禄に見合った分だけ家臣を雇えということのようだ。私は田村出身ということになっているので、いくら同盟国とはいえここで、私と一緒に働いてくれるような人を探すのは大変なんじゃないかな、と思った。
とりあえず、ご飯の支度を手伝ってくれるような人を探そうと募集の手配まで小十郎にお願いした。
政宗の「後で」という台詞が実は、「夜に俺の部屋に来い」という意味だったというのを知ったのは、夕餉のときだった。喜多と一緒に夕食をとっているときに、これからの生活の話になったついでに、呼び出されたのに忙しくて会いに言っていない、と言ったら喜多は、気まずそうに視線をそらしてこう言った。
「それは……夜伽の相手として呼んだのでしょう」
「夜伽?!」
でも、政宗は愛姫と婚約をしていて、えーと……今は、愛姫はこの城にいないわけだから、欲求がたまっても捌け口がないの? それにしては、やたら他人行儀な二人だったけれど、誰もいないところでは、すごいのかな? いやいや、そうじゃなくて、そんなに愛姫がいないのが寂しいなら、傍にいるように口説き落とせよ。えーと……だから、私は愛姫のかわり?
「殿は、えーと……その……そんな風に、やたらと女子に声を……夜伽を命じる方なのですか?」
私が推察では、相当な硬派だったけれど「英雄色を好む」の如く、若い女が手近にいればとりあえず喰ってしまおう、みたいな人なのだろうか。
「今までに、そんなことはありませんでしたが……殿も年頃ですから」
喜多は非常に言いにくそうだ。年頃ですから、の台詞で私は危うくお茶を噴出しそうだった。
「今までなかったのに、急に、私が来たから?!」
「殿の周囲には、年頃の女子はおりませんでしたから」
そういえば、彼の普段の生活の世話をするのも侍女ではなくて小姓たちがやっていた。袴をはかせる手伝いなどは結婚すれば奥さん、(もしくは側室)が手伝ったりするのが多いが、そのほかの御髪を整えるだとか、寝具の上げ下げだとかは小姓や侍女がやっている。
女中に手を出してしまう、なんてよくありそうな話だけれど自分がそんな目にあうとは思わなかった。
「……殿は、愛姫様のことは……?」
「慈しんでいらっしゃるようではありますが……そういうことは、人前には言わないものでしょう」
私が女だからかもしれないが、好きでもない相手を抱いても満足できるものなのだろうか。私なら、好きな相手以外とはごめんだ。
さしずめ、私は愛姫の身代わりなのだろう。政宗は他人行儀なところを愛姫には見せているが、不器用は不器用なりに、一生懸命愛姫の気を引こうと頑張っているらしい。それが空回りして、愛姫と喧嘩をするのもしばしばあることらしい。
それって、つまり、実は三角関係ってことですか。
政宗→愛姫→小十郎
うわーっ
私はそんな関係の当事者にはなりたくないね! でも、実際のところ不器用ながらも愛姫に一生懸命な政宗を見て、愛姫が心変わりをするかもしれないので、あまり心配の要らない関係かもしれない。政宗は、悪い男ではなさそうだから。
でも、愛姫は真剣に、ひたむきに小十郎が好きみたいだったし。
「それで、殿のお考えは?」
喜多の私を見る目が鋭くなった。ああ、私が田村の者だから伊達家に不利益にならないように、見極めるつもりなのだろう。
「呼ばれているのに、それに応じないわけにはいかないでしょう。断れば、主君である愛姫様にご迷惑もかかりましょう。……殿は、やたらと喰い散らかす方ではないと喜多殿の話で推察できますから、なにかわけがおありなんだと思います」
「夜伽ではないと?」
「間違っても、お部屋様にさせるために私を呼んだのではないと考えています」
希望的観測に近い。この頃の考え方からすれば、力のある武将が家の安泰のために、たくさんの子供を生ませたのは事実だ。だけれど、いくら身近に年頃の女子がいなかったからといっても、内向きの仕事にはたくさんの若い女子がいるし、政宗の母親の侍女たちのなかにも、若い女子たちがたくさんいる。そこに手をつけてもよかったのだ。
それをしていない、ということは今のところ、まったく女子なんか眼中に無いか、愛姫以外は女子に見えていないか、側室を作るにしても同盟や力関係を考えてより、有力な家柄の娘に手を出そうと計算しているのかもしれない。
私は、有力な家柄ではないため側室にさせようとは思っていないはずだ。
「無理強いをしない方だと思いますから」
夕餉も終わってから、政宗付きの小姓に呼ばれて私は、政宗の私室に向かった。これが執務室であれば、完全に仕事の話だったのだが、私室に呼ばれてしまってはあまり、よくないことが起きるような気がしてならない。小姓が私を連れてきたことを、障子越しに伝えると政宗が入ってくるように言った。
部屋に入ってすぐ、布団が引かれていたら即行で逃げ出そうと思いながら障子を開けた。そこには布団は引かれていなくて、政宗が胡坐で座って本を読んでいた。
「なにか、御用でございますか」
入り口近くに座って、私は頭を下げて政宗に問うた。
政宗は顔を上げて、手にしていた本を畳の上に置くと私を手招きした。もっと近くに寄れ、ということのようだ。私が二歩分近づいて座ると、政宗はにやり、と笑った。なんだか良くない笑顔だ。なにを企んでいるんだか……。
「お前を呼んだのは、他でもない。……もっとこっちにこい」
政宗は不機嫌そうに眉を寄せて、私をさらに手招く。自分の隣の畳を叩いているので、隣に座れと言いたいようだ。渋々と、私はさらに歩みを進めて政宗の隣に座った。端整な顔が自分の近くにあるというのは、なんとも落ち着かない。
「は、愛の侍女だったな。……愛はどんなやつだ?」
私の耳元に顔を近づけて、政宗は尋ねた。どんなやつ、といわれても……一体、政宗は何が知りたいというのだろう。
「それは、殿のほうが詳しいでしょう」
「愛の好きなものはなんだ? 好きな着物の色とか、どんなものがほしいとかいってなかったか?」
次々と質問を浴びせられて、私は目を丸くした。
「あの、殿……」
「なんだ?」
「僭越ながら、お伺いしてもよろしいですか?」
政宗は鷹揚にうなずく。
「愛姫様に、何か差し上げるのですか?」
「女は贈り物が喜ぶと、きいた」
政宗はぶっきらぼうに答えた。
誰だ、そんな入れ知恵したのは。しかも、そのぶっきらぼうな答え方で愛姫と何かあったのだと態度で示している。本当に、不器用なんだ。
「愛姫様とケンカなされたのですか?」
「……悪いか」
ぷい、と口を尖らせて視線を私から反らせた。顔まで横に向けてしまって、子供が拗ねているようだ。
「仲直りをされたいのですか?」
愛姫とケンカをしただなんて、愛姫から私は聞いていないが、一体いつのケンカを引きずっているのだろう。
「俺は……愛に、gentlemanでありたいと……そう、思う」
相変わらず、私から視線を反らしたままだけれど、いつもとは違った弱った声で話しているので、本当に困っているのだなと思う。だけれど、紳士でありたいだなんて、いつもの荒い気性の政宗からしてみれば、考えられない優しさだ。
「頭ではわかっているのだが……愛と会うと、つい、言い過ぎてしまう。愛が、俺を好いていないのもわかってはいる……」
「愛姫様が、殿を好いていないと申したのですか?」
「違う、……お前は、気が付かないのか?!」
もしかして、政宗は愛姫が小十郎を慕っているのを気が付いているのだろうか。だから、一生懸命自分に振り返ってもらおうと、贈り物を渡したり、優しい態度で接しようと努力しているのだろうか。
「気が付いても、主のためであれば知らぬ、と申すのが忠義でございます」
「愛は、俺を焦がれたような瞳では見ない……!」
歯を食いしばって、鋭い視線で私をにらみつける。政宗の瞳の奥では、燃え盛る炎がちらついていて、どうしようもない怒りに囚われているのがわかる。
でも、愛姫はいずれ政宗に嫁ぐのだ。政宗の権力を持ってすれば、別に、愛姫を手折ってしまってもかまわないはずだ。愛姫からはものすごく嫌われるとは思うが。そのように、無理やり手折るなんて、戦国時代では良くあったことだと思う。政宗にそうやれ、とは絶対に言わないが、そういうことが罷り通る世界だというのは、政宗だって重々承知のはずだ。
「……そこまで、愛姫様のことをお好きなのですね……」
無理やり手折るのが怖い、と気性の荒い政宗が考えるほど、愛姫のことが好きなのだろう。
わーっまじ、三角関係じゃん……!
「俺が、愛が好きかなんか、わかねぇよっ」
政宗はなぜだか分からないが、声を荒げる。照れ隠しなのか、苛立っているのか、眉がぎゅっと寄せられ眉間にしわができている。
しかも、好きかどうかもわからないだなんて、奥手すぎて私はびっくりです。
「愛姫様を大切にしたいのですよね?」
「虎哉和尚が、女子は大切にせよ、とおっしゃっていたからだ」
「……和尚様に、そういわれたからとりあえず、優しくしようとしてるのですか?」
「……そうだ」
また、ぷい、と顔を横に背けて私の視線から逃れる。えーと……どうしようか。同い年ぐらいの男に、恋愛とはなんぞやというようなことを得々と説いて聞かせるのもバカらしい。
「他に、愛姫様にしたいことはございますか?」
とりあえず、要望だけ聞いてあとは、私が愛姫に文を出すなりして、好みの着物とか聞いておこう。それで、二人がどうなるかは、私がどうこうすべきことじゃない。愛姫には、好きな人と幸せになってほしいとも思うが……小十郎はどう思ってるのかな。
目の前が翳ったと思ったら、私はすっぽり政宗に抱きしめられていた。政宗は片手を私の頭において、もう片方の手を私の腰に回して優しく抱きしめている。
ど、どうしよう。ドキドキしてきた。
だって、政宗の顔は私の首元に埋められていて、首筋に熱い息がかかる。腕には優しく力が込められていて、まるで、私が慈しまれているみたいだ。ふんわり、薫る香のにおいがぼんやりと私の思考を奪っていくようだ。
「こうして……優しく抱きしめたい……」
政宗の熱い息が私の耳元をくすぐる。掠れた声で囁かれて、私の鼓動は早くなる一方だ。私を口説いているわけじゃないのに、私の熱は上がる一方だ。
どうしよう、私……
太陽に、捕らえられた