成実に励まされて、(あれを励ましというかは別として)意外と、成実は気遣いの細やかな人なのだなと気が付いた。落ち着いたので、私は家に帰ろうと思っていたら、今、一番会いたくない人が私の目の前に仁王立ちしている。
夜着のままで、彼にしては珍しいちょっと困ったような表情で、私を見下ろしている。私は廊下の端によって頭をたれた。政宗が私の前を通過するまで顔をあげてはいけないのが、この時代の礼儀だ。だが、政宗は私の目の前で足を止めて躊躇いがちに言葉を私に落とした。
「顔を、あげてくれ。」
非常に気まずいが、その様子から私を探していたらしいということを察して、私は政宗と視線が合わないように顔をあげた。
「すまない……無理強いをするわけではなかった。……無理やりどうにかしようとかは、思わないから、俺に脅えないでくれ」
懇願にも近いその言葉に、政宗の苦悩が見て取れた。彼は、女子に拒否されることを本能的に恐れているのだ。彼の権力を持ってすれば、拒否されたことなんて無かったことにしてしまえるのに、それができない心理的圧迫があるみたいだ。
「もったいないお言葉に存じます」
私は、深呼吸をしてから政宗と視線を合わせた。そこには、いつもは大人びて見える秀麗な顔立ちではなく、異性に対する戸惑いを覚えたばかりの少年のような表情を浮かべた青年がいた。初恋なんて、彼には存在しなかったのだろう。いずれ手に入ると思うから、女子に対してどうしても不器用になってしまうのかもしれない。
私は、無理に微笑んだ。頭では政宗を許したつもりでいるが、それでもまだ納得のいかないところがある。きっと、それは身代わりにしたということが許せないのだと思う。身代わりじゃなければ、と願うなんて私には、過ぎたる願いだ。
「……抱きしめていいか?」
「ちょ……っ?!」
無理矢理は本意じゃないといいつつ、私の返事を待たずに政宗は私に抱きついてきた。先ほどの優しく抱きしめるのではなく、両腕に力を込めて私の体つきを覚えようとするかのようにきつく抱きしめる。抱きしめられて、息も苦しいがそれより、着物越しに伝わってくる体温で心臓が跳ね上がりそうで苦しい。
政宗は、私の首筋に鼻頭を当てて匂いをかいでいる。大型犬に懐かれたような感じだ。私にも、政宗の上品な香の匂いが漂ってきてまた、ぼうっとしてくる。
政宗は、やがてゆっくりと口から息を吐き出して、抱きしめている手を緩めてくれた。
「人は温かいのだな」
この人は、何に飢えているのだろう。
着るものに恵まれ、食べるのにも困らず、雨風がしのげる立派な家に住んでいる。両親は健在で、優れた家臣にも恵まれ……それでも、どこか飢えている。人間の欲には際限がないというが、そんな欲深いものではなくて、もっと根本的な何かを欲しているみたいだ。
「愛姫さまにも、そのようにしてさしあげればよろしいのに」
「愛にか? ……あいつを抱きしめたら、愛は必死に抵抗するだろう。俺に、触れられるのも嫌なはずだ」
俺以外の男を見ているから、と政宗は苦しそうに私の耳元で呟いた。私にもその苦しい思いが伝わってきそうな声音だ。
「私も嫌がったはずですが」
「俺がしたいからだ」
「は?」
「愛は、抱きしめて慈しんでやらねばならないと、思う……は、ずっとこうしていたいと思う……嫌がらないで許してほしい」
政宗は一体、私に何を見出したのだろう。愛姫に感じている思いは、間違いなく恋だと思う……だけれど、私にも何か思うなんて。
「殿、もう夜も更けてまいりました……お部屋にお戻りください」
いつまでもこうしているわけにもいかない。政宗と私との間に何かがあってはいけないのだ。
「殿、貴方が不安に思うことがあるなら、私が命に代えても不安を取り除きましょう。それが目に見える敵でも、目に見えない敵でも。私が仕留めてさしあげます」
政宗からそっと離れて、私は膝を床について頭を下げた。政宗は、異質である私に何かの救いを見出したのかもしれない。奥州はいまだ、戦乱絶えず。上洛したくてもできない有様。家では、正室とうまくいかず……外も内も荒れていれば、不安にさいなまれることもあるだろう。
安心させるような言葉がほしいのではないだろうか。私が忠誠を誓うのは、生き倒れていた私を助けてくれた愛姫だけだと、決めていたけれど。城で言葉を交わして、生活の息吹を感じて情が移ってしまった。
情が移れば、情け心もおこる。もう、私は政宗を見捨てられない。
政宗は、なぜか長く深いため息をついて言った。
「の忠心、嬉しく思う」
政宗は、私の前から去っていった。政宗の足音が去るまで、私はずっと頭をたれていた。
翌朝、小十郎が私の家の手伝いをしてくれる人を募集してくれたおかげで、数名の人たちが我が家に雇われたいといってきてくれた。最初は、一人も来てくれないんじゃないかと思っていたのだが、予想をはるかに上回る二十名ほどきてくれた。老若男女問わずきてくれたのは、ありがたいが、私の俸禄で何人ぐらい雇えるのだろう……。
小十郎は務めがあるとかで、代わりに喜多が助言をしてくれた。私の俸禄で二十人はたやすく雇えるという。私が、全員雇っても良いのか、と喜多に聞いたら、得意不得意もあるだろうし、間者もいるかもしれないから、見定めをしろといわれた。
いわゆる、面接である。
土間で喜多と一緒に、やってきた人を順に面接をする。土間でやっているのは、何が得意なのか見せてもらうためだ。
最初に面接をしたのは、白髪も混じり始めた初老の女性である。年齢はよくわからないが、まだまだ元気だ。
「なぜ、我が家で働こうと思ったのですか?」
「あたしゃもう、若いときからご奉公にあがって先日お役ご免になったのじゃが。まだまだ働きたくての。ばばじゃから、力仕事は無理じゃが、年の功でいろいろ助言してやれると思うての」
「私の話し相手にもなってくれますか?」
「姫さんが、そう望むんなら」
この人、名前はタキというらしい。伊達家家臣のだれそれの内向きの仕事に仕えていたらしく、大ベテランのようだ。人柄も悪くないし、死ぬまで現役でいたいっていうのは素晴らしいことだと思う。
とりあえず、結果はあとで伝えることになっているので今は、引き取ってもらった。
まあ、そんな感じで二十数名と面接を行って喜多にきいてみた。
「どう、思った?」
「私は、若者数名を雇えば労働力も十分かと思います」
確かに労働力は十分なんだけれど……私はいろいろと知らないことが多いからなぁ。
「全員雇おう」
私の返答に、喜多は驚いたようだ。
「そのお考え、聞かせてくれませんか」
「歳の近い若者だけであれば、気兼ねなく楽しいとは……思う。だけれど、若輩者にはわからない問題も、年長者には容易いことかもしれない。それは、良い刺激になるだろう」
「あのタキさんも雇うのですか」
「タキさんが重要なんだよ。適当にいろんなところを回ってもらって、みんなの愚痴をきいてもらう。タキさんは内向き仕事の大御所だから、いろんなことを解決してもらえるはずだ」
「……そういうことは普通、殿がやるんです」
「私は、そういうことには疎い。家臣を雇うなんてしたことがないから。タキさんに私もいろいろ教えてもらおうと思うんだ」
私の考えに、喜多は納得したらしくそういうことなら、と別の部屋で待っている人たちに全員雇うことになったことを伝えてくれた。
ああ、これでおいしいご飯が食べられるぞ。
城への出仕は午後からである。本当は早朝からだが、我が家が機能してないので特別に午後からになっている。雇ったばかりの人たちにずらっと並ばれて、みんな笑顔で送り出してくれた。ここの人たちは、本当に良い人ばかりだ。いくら同盟を結んでいるとはいえ、別の領主の家臣だというのに、屈託なく接してくれる。
まあ、これで広すぎる館に夜遅くに帰ってきて「寂しい」と思うこともなくなったわけだ。迎えてくれる誰かがいてくれる家というのは、非常に、暖かい。
城でやることといえば、ひたすら鍛錬である。えらくなれば行政にもかかわるだろうが、私には無縁のものだ。鍛錬所にこもって、ほかの伊達軍の方々と戦に向けての訓練だ。これがまた、厄介で政宗も、小十郎も、成実もやってくる。やってきたらやってきたで、私を訓練相手にするものだから、たまったものではない。
政宗なんて、この間の手合わせのときと違って、怜悧な瞳に妙に焦がれた光が灯ってなぜか気恥ずかしかった。唇は、面白そうに半月を描いているし。
小十郎は、私の中の属性の力に興味があるらしく、小十郎がその使い方を指導してくれる。
成実からは、拳銃が奪われたときのために太刀も扱えるようにしておけ、と厳しいお達しがあり、成実との訓練は木刀以外許されなかった。
一日訓練してみれば、体はへとへとだった。だけれど、家に帰ってみれば素朴で暖かい家が待っていた。みんなおいしいご飯を作ってくれるし、なにより笑顔で楽しそうに仕事をしてくれるのが嬉しい。
ここは、働きやすいと言ってくれたのが何より嬉しかった。
そうして、私が伊達家の生活に慣れ始めた頃、客人が訓練所にやってきた。近侍を伴ってやってきたのは、あでやかな着物に身を包んだ女性で、背後にはまだ元服していない少年が付き従っている。あの政宗でさえ頭をさげたのだから、この女性が政宗の母親であることを知った。
きつい目をした凛とした美人で、目元は政宗にそっくりである。背後にいる少年は、優しい面差しだが口元が、母親に似ていたので政宗の弟なのだろう。
「男顔負けの女武者がいると聞いたので、見に来た。どれほどの腕かみしてはくれまいか?」
「母上のご希望とあらば、存分に」
政宗は、義姫を正面に座らせ私の名を呼んだ。私は立ち上がって、中央まで歩んで義姫の方へ膝を付いて頭を下げた。
「こちらにいるのが、その女武者にございます。田村の出身でと申します」
政宗が私のことを紹介している。頭を下げているので、義姫の表情は見えないが値踏みをするような視線をちくちくと感じた。
「では、。俺と手合わせだ」
そんな! 殿自らやらないでもいいじゃないですかっと、心の中で叫んだ。さすがに義姫のいる前でそんなことは言えない。私は、一礼して立ち上がった。