私の戦に対する杞憂は、とっくに政宗に見抜かれていて、戦勝祈願をする前日政宗に呼び出され、台所の囲炉裏を囲んで夜、二人だけで話しをした。政宗の私室ではない分、夜伽という下心を感じさせない配慮が、政宗らしい。
囲炉裏の火で温められた鉄瓶から、湯気の立つ温かいお湯を湯飲みに注がれて勧められた。政宗は自分の湯飲みにも湯を注ぎながら、言った。
「お前、何悩んでんだ?」
「……お気づき……でしたか」
「竜の目はごまかせねぇな。初陣か?」
私は黙ってうなずいて、湯飲みにはいっている湯をすするようにして飲んだ。
「、お前は何のために戦う?」
「何の……?」
「天下か、金か、それとも、この俺のためか」
私は、返事をすぐには返せない。戦にいくのだって、政宗の命令によって献上品として田村から差し出されたからであって、献上品になるのを承知したのは、世話になった愛姫に迷惑をかけないためだ。天下のためといったって、私は戦乱がどれだけ酷いのか、実際にこの目で見たわけではない。お金か、といわれるとまったく無ければ、食べていけないのでそこそこお金はあったほうがいい。だけれど、大金持ちになりたいわけじゃない。
じゃあ、政宗のためか?
どうだろう、私は、政宗のために戦うのだろうか。
「愛姫様のために」
「ちっ……愛、愛って、お前ぇ言いすぎだ! そんなに愛が好きか!」
「それは、殿でしょう」
私に愛姫との仲がうまくいく様に相談しているのは、どこのどいつだ。
「愛は俺の妻だ。優しくする義務がある! お前は、違うだろうが」
「……嫉妬ですか?」
なんか、この言い方だと私と愛姫の仲がいいのが羨ましいとも取れる発言だ。でも、『義務がある』ってちょっとひっかかる言い方だ。素直じゃないんだから。
「なぜ、俺が愛に嫉妬しなければならないんだ」
政宗は、うっすら頬を赤く染めて声を張り上げた。
「違います。私に嫉妬しているんです!」
政宗は頭がいいと見せかけて、実は頭が弱いんじゃないだろうか。男女の機微を考えたら、普通、私に嫉妬するものだろう。なにが悲しくてこの人は、自分の奥さんに嫉妬しているだと考えたんだか。思考回路がおかしい。
「……なんで、俺がに嫉妬しなければならない」
「私と愛姫様の仲が宜しいのを羨ましく思われて」
こんなことを解説する私も、私だけれど。言っててなんだかむなしくなってきた。私は、自己嫌悪のためにため息をついていると、政宗はうっすら赤かった顔をさらに赤らめて、照れくさそうに、私から視線をそらした。
あれ? 図星?
それで、照れているのだとしたら純情なところもあるのか。
「そんなことあるか」
顔ごと横を向いて、頬を少し赤らめながら政宗は、先ほどとは違って弱々しい声で反論した。そんな普段見せない政宗の姿に私は、目を奪われた。
これは、反則だ。
ひどい。
私は、自分の鼓動が高鳴るのを感じた。
私は、彼を……。
「俺が、を嫉妬するなんてことはない……。俺は、むしろ」
政宗は急に真剣な表情になって、私を穴の開くほど見つめている。そのなんでも見通すかのような澄んだ視線に、私は自分の気持ちを知られてしまいそうで、今度は逆に私が政宗の視線から逃れるように顔を伏せた。
もう、あまり、見ないでほしい。
だって、私は……。
政宗は右手を伸ばして、湯飲みを包み込んでいた私の手を掴んでやわらかく握り締めた。驚いて私は顔をあげると、さきほどと変わらない真剣な表情で政宗は私を見ている。みたことないような、優しい笑顔を私に向けて私の掴まれた手が、ゆっくりと政宗の口元に運ばれる。それをスローモーション映像のように、やたらに遅いと私は感じていた。
政宗は、急に私を掴んでいた手を離し、「誰か来る」とささやいた。政宗はなんでもなかったかのように、湯飲みに手を伸ばし湯を口に含む。私は、呆然とその光景を見ていた。
「殿、殿、こちらにおられましたか」
台所に来たのは、小十郎だった。見回りの途中のようで、燭台を手に歩いていた。
「が初陣で緊張してるっていうから、adviceをしてやってたんだ」
しれっとした顔で、政宗が小十郎に言った。
うそつけ……!
最初はそうだったかもしれないが、途中から……話が変わった。
あのときの政宗の態度をどういったらいいのだろう。私に、何をしようとしていたのか。
それにしても、先ほどから早鐘を奏でている心臓が収まりそうに無い。私は、無意識のうちに政宗の口元に運ばれそうだった手を握り締めた。
「そんなに力を今からこめていると、明日はどうなることやら」
小十郎は、私の握りこぶしを見てあきれたように笑いながら、手を開くように私の手を軽くたたいた。不思議な緊張は消えうせて、私はゆっくりと手を開いた。
政宗がそれをみて、なにかぶつぶつ言っていたようだが、口から言葉として発せられなかったようだ。
小十郎が戻るそうなので、私もそれと一緒に政宗の御前から失礼することにした。このまま残ってたって良いことなんてないと思うし。
それに、これ以上二人でいたら、心臓が耐えられないかもしれない。
小十郎と並んで歩きながら、他愛の無い話をする。話題が、われらが主君である政宗の話になったとき、私はふと、政宗の弟の小次郎が領主に向いている、と政宗が言ったことが気になった。小十郎に聞いてみると、最初は渋っていたものの、どんなきっかけでそんな評価を家臣たちがもつようになったのかを教えてくれた。
小次郎は現在十二歳で、鍛錬のために馬で遠駆けをするのだという。もちろん、お供も数人ついて近くの山や川へと遊びに行くのだという。それは、よくあることでいつものように、遠駆けをした帰り、農民と思われる老女が小次郎の行く道をふさぎ、直訴したのだという。
その内容は、伊達の呼びかけに応じ、息子たちが戦に出て誰一人帰ってこなかった、戦続きで蓄えも無く、葬式すらだしてやれない。それが悲しくて悔しいと怒りのやり場に困り、伊達の御曹司に直訴したらしいのだ。
そこで、小次郎はどうしたかというと、老女を慰め二人の息子の墓に手を合わせ、葬儀代としていくらか施したのだという。老女は大変感謝したという。
「それを小原殿が、いろんな者に話して回ったのだ」
小原というのは、小次郎の傅役で政宗と小十郎みたいな関係らしい。
「お東の方もそれを聞いて、いたく感銘されて誉めそやすものだから、政宗様よりもふさわしい、と口さがないものが噂するのだ」
小十郎が、口惜しそうに教えてくれた。私は、小次郎を知らないけれどもし、私が小十郎と同じ立場だったら、同じように口惜しく思うだろう。政宗は、暴君ではない。
「小次郎様は、その農村の窮状を大殿や殿に訴えられましたか?」
「いや、そんなことはしてねぇな」
「……片倉殿も、彼らと同じように小次郎様が慈悲深いと思われますか?」
小十郎は、黙って私を睨みつけた。警戒している、と言った方がいいかもしれない。小十郎の頭越しに、満月に近い月が私たちを照らしている。
「私と片倉殿、二人しかいません。誓って他言しないとお約束します」
「俺も、話を聞いてお優しいと、慈悲深いと思った。政宗様なら、そのようなことはされないだろう」
小十郎は切なそうに瞳を光らせた。
「ならば、私の思うところを言います。それでも、私は殿のほうがお優しいと私は胸を張って言えます」
なんで、私はこんなにも必死に政宗のフォローをしているのか、どこか冷めた部分で不思議に思っていた。でも、私は自分を止めることができない。
「小次郎様のされたことは、ただの自己満足で慈悲などではございません」
私の言葉に、小十郎は驚いたようだ。
「戦乱が続き、生活が厳しいのはその老女だけではないでしょう。たった一人に施しをして、良いことをした、と思っているのは単なる自己満足です。その後、殿や大殿に農村の窮状を訴え、年貢を減ずるように提案するのが、伊達の御曹司のあり方です」
「しかし……十二歳にはそれは難しいんじゃねぇか?」
「ならば、傅役の小原殿がそのように小次郎様を諭さねばなりますまい。片倉殿だって、政宗様をお諌めするときがございましょう。それを、慈悲深いと吹聴するとは思慮が足りませぬ。……それに……あまりいいたくはありませんが、農村は連帯社会です。一人だけ御曹司の施しを受ければ、ほかの村人が納得しますまい。だからこそ、殿は施しをされないのです。代わりに……万民に対し慈悲をお与えになる。殿は、減税することをお選びになるでしょう。……いまごろ、その老女は村八分となり、ムラ社会では生活できていないでしょう」
小十郎は、はっと息を呑みこんだ。
「人をやって、調べさせよう」
私は黙ってうなずいた。
「……それにしても」
小十郎は、にやにやと笑いながら私を上から下まで値踏みするかのように見ている。訝しがって、私が首をかしげると小十郎は笑った。
「お前が、そんなに真剣に殿を想っているとは想像してなかったんでな」
お、想ってるって……!
知らないうちに顔が赤くなってくる。
ああ、だめだ。
やっぱり、私……。
「た、ただっ私が思ったことを言っただけです! べ、別に殿のことなんか」
「殿が、なんだぁ?」
きゅ、急に凄まなくたっていいのに……。
「殿には、愛姫様という方がいらっしゃいます! 私は、関係ありません!!」
「ああ……」
どうしたことだろう、小十郎は切なそうに空を見上げ、満月には少し足りない月を見つめた。
「……そうだったな」
小十郎は深いため息と共に言葉を紡いだ。なんだって、そんなに切ない表情をしているんだろう。政宗と愛姫の仲があまり良くないとかそういうのを心配しているため息ではない。
「ああ、じゃあ、私、こっちなんで」
分かれ道で、私は小十郎に言って角を曲がった。背後から、「明日、寝坊するなよ」といういつもの小十郎の声が聞こえてきてさっきの切ない表情は見間違えだったのかと思うほどだ。
家に帰って、みんなに温かく迎えられて自分の部屋に戻った。満ちるのに足りない月を見て、私の右手が政宗の唇に触れそうだったときのことを思い出して、顔が熱くなる。
ああ、そうだ。
だって、私は……
私は、伊達政宗を好きになってしまったのだ。