部屋に戻って、一息つくと私は妙な気配を感じて部屋の障子をあけ廊下に出た。燭台を手に持ち、夜の庭をぐるりと見回した。
「そこに、誰かいるの?」
闇夜から溶け出すように現れたのは、私よりいくつか年上の、妖艶な美女だった。ぱっと人目を引くほど美しく、だが少し、異質なものと感じさせるのは彼女の額に描かれた不思議な模様だ。「童」という字に似ていてより、デザイン性の高い模様の様なものだ。私は、ここに数ヶ月生活してきて、額にそのようなものを描いている人に出会ったのは初めてである。
「あなたは……?」
一応、曲がりなりにも伊達家からそれなりの俸禄を頂いている屋敷なので、家のものに見回りをさせている。お金を取られるのがもったいない、というよりも強盗によって誰かが怪我するのが怖いからである。それを掻い潜ってきたのだとしたら、只者ではない。
「そなたが、『来つ寝』を名乗るものか?」
私の質問をあっさり聞き流し、彼女は聞く者をうっとりさせるような声で質問してきた。
「はい。……貴女は、本物の来つ寝?」
匂い立つような美しい女性だ。来つ寝として、巫女の役割も十分にできるだろう。
「本物も、偽者もない。私のことは、葛の葉とでも呼んでおくれ」
狐であった、とされる安倍清明の母親の名前を同じだ。やはり、そちらの影で隠れて生活しなければならない特殊な力を持ってしまった人なのだろう。
「そなた、なぜ来つ寝を名乗っている?」
「……私の話すこと、信じますか?」
「鵜呑みにはできぬ」
「それでも、いいです。私は、異界から来ました」
私のいた世界、私がこちらにきてからのこと。それをざっと葛の葉に話した。葛の葉は黙ってそれをきいていた。信じられないような話なのにもかかわらず、私の荒唐無稽とも取れる話を真剣に聞いて、あっさりと信用してくれた。
その信じてくれたことに対して、私は理由を尋ねた。
「私の、この印の意味は分かるか?」
葛の葉は、額に描かれた印を指した。この時代に生きた人なら、すぐにでもわかる常識的なものなのだろう。なんだろう、まじない……だろうか。「長生きできますように」とか「無病息災」とか……。でも、そんなメジャーな願い事なら、誰しもその印を額に描いているわけで、それをしている人がいないということは、あまり、よくない印なんでは……。
「わかりません」
「だろう、だからそなたを、異界の者と信じる」
「私が、わかっていても答えないのかも」
「この印の意味を知っているなら、私とこのように会話はしていない」
ちょっと、どんな意味をしていたら、そんなことになるんだろう。
「これは、人が地面から片目を貫かれて串刺しにされている印だ」
確かに、よく見たら……人の頭と思われる球体に、地面から出た一直線の棒が貫いている。足に当たる部分が、斜めに倒れかけていて……貫かれて、もがいているかのようだ。
「この印は、昔は刺青だった。いまは、染料で描いている……来つ寝や、河童、などと呼ばれる者たちが体のどこかに染料で肌をこのように染め上げているのさ」
ああ、それでは奴隷の証だ。きっと、正体を調べられたときにこの印をみつけられ、人ではない扱いを受けた人だっているのだろう。
「でも、貴女は人だ」
私には、そうとしか見えない。これをどうやったら、人ではないものになんてみえるのだろうか。
「……様? どなたかそちらにいらっしゃるのですか?」
我が家で働いている女中の一人が、私たちの話し声に気がついたのか燭台を手にこちらに歩いてきた。私は、小声で葛の葉に隠れるように言ったが、葛の葉は動こうとしない。その間にも、彼女は徐々に渡り廊下を歩いて近づいてきて、ついに私と葛の葉を照らす位置まで燭台のともし火が届く距離まできた。女中は、葛の葉の姿を認めたようであったがすぐに、視線をそらし私に向き直った。
「おひとりでこのようなところにいては、風引きますよ」
「あ……あぁ……すぐに、部屋に戻るよ」
すぐ横に、葛の葉がいるのにまるで私、ひとりしか見えていないというそぶりだ。私は、隣にいる葛の葉へ視線を向けた。彼女は何をするでもなく、ただ、闇夜の中に立って、女中を見返している。そのまま、女中は私に一礼して、もと来た廊下を戻り始めた。
「何か、術でも使ったんですか?」
「なにも」
葛の葉の答えに、私はぞくっという背筋を抜ける寒さを覚えた。つまり、彼女は額の印のせいで、人間ではないと判断されたのだ。確かに、女中は葛の葉の姿を捕らえていた。だが、額にある印のせいで、人間ではないと思い、私が「ひとり」だと言ったのだ。
これが、来つ寝か……!
「そなたは、それでも来つ寝を騙るか?」
「葛の葉さんは人だ」
誰がなんと言っても、ほかの人が彼女の額に描かれた印を見て、人じゃないと判断しても私には、人にしか見えない。
「ふたつ条件を飲めば、来つ寝を騙ることを許そう」
私はうなずいた。来つ寝は異界に通じる技にも詳しいそうだし、彼女たちの信頼を得られたら私は……帰る方法をみつけるだろう。
「ひとつ、天下泰平の世を築くこと」
政宗がやろうとしていることだ。
「ひとつ、この印を体のどこかに描くこと。それを守れば、日ノ本すべてに住んでいる、来つ寝たちの情報をそなたに売ろう」
それは……日本中にいる来つ寝たちのネットワーク網を手に入れた、ということだ。
「ことの重要性がそなたなら、わかるだろう?」
戦に勝つには、情報が必要だ。織田信長が桶狭間の戦いで今川義元に勝ったのも、運だけではない。今川義元が、警備薄く田楽狭間で休憩しているという情報が手に入ったから……彼に勝ったのだ。勝つには、多角面から見た正確な情報が必要だ。
「その条件、すべて飲みます」
葛の葉はうなずいて、私に印を施してくれることになった。葛の葉からは、邪魔にならない胸元あたりがちょうどいいだろうといってくれた。戦に出るなら、肩だと引っ掛けて服が破れて見えてしまうからだ。
不思議な染料で、私の胸元に葛の葉が左目を貫かれ、地面に伏せようとしているヒトの印を描いた。一日このままにしておけば、早々簡単には落ちないのだという。たまに、書き足してやればいいのだそうだ。
これで、名実共に私は、来つ寝だ。
「異界へ通じる道も調べておこう。天下泰平にしたら必ず、それを教える」
「ありがとう」
葛の葉は一礼して、すっと闇に解けていくように消えていった。葛の葉には、元いた世界に返りたいと言ったけれど、私は、本当に帰れるのだろうか。……帰りたいと、望むのだろうか。
ふと、視線を落とすと片目を貫かれた印が眼に入った。
ああ、政宗も片目を無くしている。まるで、この印のように、何かに抗うかのように渇望する瞳の輝きを、よく見る。目を貫かれても、地に伏しはしない、そんなところが似ていると思った。
早朝、家の者たちが勢ぞろいで私を送り出してくれた。
「ご武運と、功名をお祈りしています」
タキさんが代表して、一列に並んでいる家臣たちの中から進み出て私に一礼した。
「よろしく留守を頼むよ。無理しない程度にがんばってくるから」
私は、全身黒でそろえた着物と鎧を身につけ、淡い桃色の陣羽織を羽織ている。映画やテレビでしかみたことのない合戦に私は、赴くのだ。
てっきり、そのまま合戦しにいくのかと思っていたのだけれど、まずは戦勝祈願、ということで神社に刀を奉納する儀式をするらしい。政宗が祈願している間は、家臣たちは俸禄順に並んで待機しているのだけれど、なんと、私は一番前だった。
……てっきり、後ろのほうかと思って後ろに下がっていったら、小十郎に首根っこつかまれるように前へと引きずり出された。私と同じ列には、小十郎、成実、原田左馬助、後藤信康、鬼庭綱元がいた。
伊達三傑勢ぞろいだ……! ほかの二人だって、伊達政宗の重要な家臣だったような気がするし……実は、よくは覚えていないのだけれど。
一通り儀式が終わったのか、政宗がこちらをむいてみんなを立たせた。
よくある、戦前の士気を鼓舞するための演説とかしちゃうんだろうか。
「Hey 」
政宗が意地悪な、にやにやした笑顔を浮かべて私を見たものだから、家臣の人たちがいっせいに私をみつめる。
あ、穴があったら入りたい……!
「その衣装、似合うな」
「お、おぉ……お褒めに預かり、きょ、恐縮です……!」
どもっちゃった……!
「俺のことが、そんなに好きか?」
にやにやした笑顔のまま、右手をあごに当てて私の顔を覗き込む。秀麗な顔が私の目の前にあるかと思うと、無意識のうちに頬が勝手に赤くそまる。
「初心で、可愛いねぇ」
耳元で、そっとささやいた後、政宗は神社中に響き渡るんじゃないかって声で叫んだ。
「この黒の鎧、俺とおそろいじゃねぇか! それに、派手な陣羽織……俺のstyleとお揃いだ」
ぎゃーっ
言われてみれば、そうだ!
「野郎ども、俺に惚れてんなら、このぐらいの気概を見せな」
「YHAAAAAA!」
な、なんで英語?!
「ARE YOU READY GUY?」
「YAAAAAAA!!!」
「let's go! it's a show time!!」
あまりにかっこよすぎる政宗の掛け声に、私は頬を赤くしたまま、呆然とそれをみていた。周囲では歓声というより地響きといったほうが正しいような、大声を張り上げ拳を振り上げている男たちがいるのに、私は、凪いだ海のように静かな心地でただ、太陽のように煌き、上昇する青い竜を見つめていた。
「ちょっと不安を感じます」
私は、小十郎預かり、ということで小十郎と行動を共にしている。馬に股がり、檜原口を目指して行軍している最中なのだが、こっそり隣に馬を走らせる小十郎にささやいた。
「なにがだ?」
「たしかに、会津に入るには桧原峠を越える必要があいますが……それとは別に猪苗代湖を迂回する別働隊を作るというのは、危険じゃないかと」
出発のとき、政宗は兵を二分した。会津に入る道は狭いので下手に軍を長くするより、ちょうど裏手に当たる猪苗代湖を迂回させる別働隊をつくり、挟み撃ちにするという作戦だ。下手に軍を長くするのは得策ではないのは、わかる。
「兵力分散の愚を犯しているのではないか……そう、思うのかは」
「はい。でも、もちろん殿は、十分承知の上でされているのでしょうけど」
山道を行く、桧原峠側の私たちのほうが、猪苗代を迂回する別働隊より会津につくのには日数がかかる。政宗は、そのときに芦名と向き合っても攻撃を仕掛けるな、と厳命していた。兵力を二分しているため、芦名の全軍が別働隊と戦ったら、別働隊のほうが兵数が少ないので、負けるのは必定だからだ。
挟み撃ちが、うまくいけばいい。
だけれど、芦名勢を率いるのが戦上手で、伊達の別働隊を全軍でもって速攻で沈めた後、とって返して本体であるこちらと檜原口で戦でも起きようものなら……人数的に、こちらが完全に負ける。檜原周辺には芦名に味方する侍たちがたくさんいるのだから。
「、兵学をどこで習った?」
「兵学?」
なんですか、それは。
「戦の方法だ。そんなことも知らないのか」
小十郎があきれた目をして私を見ている。
「武士ではありませんから」
「習っていなくて、その思考力か。は、軍師に向いてるのかもしれないな」
軍師?!
『死せる孔明生ける仲達を走らす』の天才、諸葛孔明と同じ、軍師?!
ほめすぎじゃありませんかね?
あ、誰も天才とは言ってないか……。
「まあ、最も兵学は政宗様も得意でいらっしゃるから、軍師など必要ではないのだがな」
ええ、そうでしょうとも!
檜原口について、陣を張った。ついてすぐに、物見からの報告とか、内応者の情報とかすぐに軍事会議が開かれ、いつ攻めたらいいのかあれこれと話し合っていたようだ。
ようだ、というのも私は軍事会議には参加ができない。俸禄はいい額もらっているけれど、田村の家臣、しかも愛姫の警護じゃあ、兵学はわかるまい、と軍事会議へ参加しなくてもよくなってしまった。
まあ、たぶん……わからないと思うけれど。
夜襲もしないみたいなので、寝れるうちに寝ておこうと自分のテントに引き上げようとしたら、派手に何かが転がる音と、水しぶき、「誰か、いないのか!」という切羽詰った声が聞こえて、私はあわてて音のしたほうへと走った。
「殿……!」
私は、目に入った光景に唖然として立ち止まった。
政宗が、ふんどし姿で若い男に地面に押し倒されているのだ。
えーと……この時代は、お稚児趣味とか言って、衆道もオーケーだったはずだ。
私は、見なかったことにして立ち去ろうと思ったが、月の光にきらり、と反射してその若い男の右手が光った。
まさか、刺客?
「殿から離れなさい」
私は、刀を抜いて若い男と向き直った。ほんとうは、銃で狙い撃ちしたいのだが陣内で、しかも敵陣とも接しているこんなところで銃声が起きたら、やばいだろう。
私が刀を構えたことで、注意が一瞬こちらにむいたようで、すぐに政宗は馬乗りになっていた男を振り落として立ち上がる。
「殿!」
予備の刀を抜いて、私は殿めがけて投げた。丸腰よりましだろう。
すると、政宗はまるで背中にも目があるかのように、こちらに振り返りもせず軽く右腕を伸ばして、私の投げた刀を受け取った。
政宗は、体勢を立て直そうとする若い男の後頭部を刀の柄で強打して昏倒させた。騒ぎに気がついた者たちが何名か走りよってきて、政宗はすぐに指示を出して、倒れた男たちをつれていかせた。
「thanks 助かったぜ、」
政宗は、なんでもないかのように私に刀を返してくる。
わたしも、何気なく政宗のほうを向いて……激しく後悔した。
だって、全裸に近いんだもの……!
鍛え抜かれた体躯は、細いのに筋肉質で均整が取れていてルネサンス期の彫刻を思わせるようで、しかも、身に着けているのはふんどしだけ。
「い、いえ……ぶ、無事でよ、よょよかったですねっっ」
また、どもったー!
まっすぐに政宗を見れなくて、うつむき加減で政宗から刀を受け取る。
そういえば、ここは政宗専用の行水場所だ。行水中に刺客に襲われたんだろう。ああ、もう、恥ずかしいから早いところ、逃げ出さなくちゃ。
「あの、じゃあ、これで……ご」
御前失礼します! と、いつものように言おうと思ったら、政宗が私の腕を掴んで引き止める。
「ちょうどいい、」
この声は、絶対、今、意地悪そうに笑っている。
「俺の背中流せ」
うそでしょーっ!!