弦月の向こうに

朝の歌、夜の夢

 なななな……! なななんで、私が、政宗の背中を流さないといけないのよー!
「と……殿……お、お恐れながら……で、できかねます」
 どもちゃったけど、敬語はあってるはず。そんなことより、心臓がばくばく言って、うるさい位自分に響いている。きっと、顔だって真っ赤だ。だって、耳が熱い。
「何も難しいこと言ってないだろ? 床で奉仕しろとかいってねぇんだから……」
 床で、奉仕……。
 この人、何様ーっ!
 だって、初恋すらまだ、みたいな恋愛不器用な人がなんでそういう欲求だけは一人前なのよーっ。
 政宗ったら、ますます意地悪な笑みを深めて、楽しそうに私を五右衛門風呂の近くまで引きずり寄せる。鉄製のドラム缶みたいなものが、即席のかまどのようなものの上に載っていて湯が沸いている。その近くに、木製の背もたれの無い椅子がおいてあって、そこに政宗が私に背を向けて腰掛けた。
「ほら、流せ」
 できないっていったのにー!
「せ、背中だけですからね!」
 渡された手ぬぐいを受け取り、私は政宗の背中をこすり始めた。人の背中、ましてや年頃も近い異性の背中をこうして流したことなんて無くて、私は相変わらず耳が熱い。思っていたよりも広い背中を上からすこしづつこする。

「なんですか?」
 私の好きな優しい低い声で、政宗が私の名前を呼んだ。
「お前もここで風呂に入っていったほうが良いぞ」
 こ、この男……!
「殿はお忘れかもしれませんが、私は女ですよ」
「そんなのは知ってる」
 しれっと政宗が答える。私は、背中をこする手を強めた。
「どういうお考えでそんなことを言われたのか、至らぬ私にご教示願いたいものです」
 政宗が、「お前、力こめすぎ」と痛がりながら私の質問に答えた。
「まさか、共同の行水場に行こうとか思ってねぇよな?」
「お湯だけもらって、部屋で手足を拭こうと思ってました」
 いくらなんでも、男ばかりのところで一緒に行水なんてできません……!
「……乱捕りって知ってるか?」
 いつもより、低い声で政宗が私に尋ねた。こういうときは、とても真剣な話だと私は最近気がついた。
「いえ、存じ上げません」
「戦に行くときに、必要な物資を通過する農村から巻き上げるんだ。物資というのは、食料もあるが……なにも、足りないのは食料だけではない」
 政宗が言うには、そこで欲求を満たすために、女であれば誰でも抱くということをするらしい。結婚してようが、まだ成長途中の少女だろうが、かまわないのだそうだ。そうやって、乱捕りをして物資を確保し戦をしているのだという。
 それにしても、そんな酷いことをして、国を支えている民をなんだと思っているんだ。国を治めているのは侍かもしれないけれど、その人たちを食べさせているのは農民だ。
「当然、伊達軍は乱捕りは禁止だ。ちょっとでもそんなことをしたら、公開処刑だ。その分、ほかよりも報酬が高い。……だが、全員が全員、品行方正なわけじゃねぇ」
 公開処刑されるのが嫌だから、乱捕りはしていないかもしれない。だが、自軍に「女」がいたらどうだろうか。自軍の中でのそのような行為を伊達軍は明確に禁止していない。戦に赴く、ということで気分が高まりがちだ。その中で……女がいたら襲われる可能性がある。
「俺がいれば、襲ってこようとする奴はいないからな……俺が見張っててやるから、風呂にでも入れ」
 政宗の優しさと、気遣いに私はうれしく思った。ちょうどいい湯加減のお湯を桶に汲んで、政宗の背中にそっと流した。
「……つかぬ事をお聞きしても宜しいですか?」
「なんだ?」
「殿、ふんどしつけたままですよね。……いつ変えるんですか?」
 ふんどしつけたまま湯を浴びていたみたいだから、お湯をかけたんだけれど、着替えるのならこのふんどし濡れたままじゃまずいんじゃないだろうか。
、さては、男と風呂に入ったことが無いな?」
「そ、そんなこといわれましても……」
 しかも、このふんどし、ぐるぐる巻く長いタイプだから絶対一人だとふんどしつけられないと思うのよね。なんか……嫌な予感がする。
「背中を流してくれた奴が、そっちも手伝うに決まってるだろ。……いろいろ、洗ったりな」
 いろいろ、ということばに含みを持たせてにや、と政宗は笑った。そのいろいろ、の意味がわかって私は、思わず二、三歩ずり下がった。
 そ、そんな! 好きだと自覚したばかりの人から、なんでこんな刺激的な……しかも、私のことを好いてくれてない、代役がわりだと私のことを思っているのに、勘違いしそうなことばかりさせるんだろう。
「あ、おい……shit 泣くほど嫌かよ」
 政宗に言われて気がついた。私はどうやら泣き出してしまったみたいだ。感情が高ぶりすぎて、ついていけない。政宗は、頭をかきながらため息をついて、少し、暗い表情をして私の頬にそっと手を伸ばした。触れる瞬間、意識していないのに私は、体を震わせることを止められなかった。
「冗談だ……嫌なら、やらせねぇよ。ふんどしは、一人でつけられないから手伝ってもらうのは、本当だが、まさか体全部洗ってもらったりしねぇよ」
 政宗は、指先で優しく頬をなでてくれたが、私は涙を止められない。
「小姓にでも手伝ってもらうから、ほら、湯につかれ」
 そういって、政宗は大声で誰かの名前を呼んだ。
「お前は、そっちのついたてをつかって、先に湯につかれ。お前が湯につかったら、俺が次についたて使うんだからな」
 風呂の近くに、即席のついたてが置いてある。そこに手ぬぐいとか置いてあるから、勝手に使えと、政宗は言った。やがて、政宗が名前を呼んだであろう、少年がやってきて政宗が一言二言つげたら、少年は走ってさっていった。何かを持ってこさせたのだろう。
 私はついたての中で、着物を脱いで大きな手ぬぐいで体を覆って風呂につかった。
 あったかい……。
 私が、一息つくと、気がつけば涙は乾いていた。背後のついたてで、政宗の小さな声が聞こえた。どうやら、ふんどしを変えるのを手伝ってもらってるらしい。
 私は、湯を両手ですくって顔を洗った。いつまでも、泣き顔をさらしているわけにはいかない。

 さきほどと、違った位置から政宗の声がきこえて私は、そちらに振り返った。
 政宗は着替え終わったのか、白い着流しを着ていた。
「湯加減はどうだ?」
 そうやって尋ねる、政宗は濡れた髪が月に光って、やけに艶かしい。
「丁度いいです……殿……お気遣いありがとうございます」
 私が礼を述べると、政宗は照れくさそうに笑った。だけれど、すぐにその笑みを引っ込めて、また、口の端をあげて意地悪そうに微笑む。
は、意外と乳がデカイんだな」
 普段は、わからないけれど。と政宗は嘯いた。
 竈の上に風呂があるので、私は若干政宗を見下ろすことになる。しかも、話しにくかったので、私はみぞおちの辺りまで湯からでていて、政宗に顔を向けている。政宗の視線は、自然と私の体に注がれていて……。
「ど、どこ見てるんですかーっっ」
「減るもんじゃねぇだろ。見張ってんだから、そのぐらい見せろ」
 私は、慌てて湯の中へ体を沈めた。な、なんなの!
「あんまりつかってっと、のぼせるぞ」
 た、確かに……。このままだと、のぼせるのは必定。私は政宗の顔をじっと睨みつけたが、本人はどこ吹く風だ。
「殿……後ろを」
「向くわけないだろ、見張りなんだから」
 ああいえば、こういう!
 本当に、口達者なんだから。
 でも、このまま薄い手ぬぐい一枚で覆われた体をさらして、ついたての後ろに隠れることもはずかしいし。
 政宗には、申し訳ないと思ったけれどあの不思議な力を使わせてもらうことにした。私の属性は丁度、風。
 風を吹き荒らして、政宗の目がくらんでいる間に私は、ついたてに隠れる。
 政宗がなんか文句言っているけれど、今回ばかりは聞いてあげられない。
 手ぬぐいで、体を拭いてでてくると政宗が、むすっとした表情で私を見下ろしていた。
「殿?」
 わざとらしく、私は政宗に尋ねる。
 政宗は私の手を掴んで、引き寄せると私の腰に手を回して耳元で呟いた。
「俺は、デカイほうが好きだぜ」
 耳元で、ちゅっとリップ音が聞こえて政宗は私を解放した。私は、嬉しいのと悲しいのが混ざって、よく分からない表情をして政宗を見上げた。
「そういうことは……」
 愛姫様に、言って差し上げてください。
 そう、いつもならさらりと、言えたのに。
 私は、言葉に詰まった。言ったら、声が震えて泣き出してしまうかもしれないと思った。だって、私はこんなにも、意地悪な政宗が好きで……。
 政宗の頭越しに見える、冴え冴えと光る弦月の月が目に痛い。
 結局、私は口をつぐんできびすを返した。
「おい、……?」
 政宗が呼び止めるのも聞かず、私は自分の天幕に戻った。



 翌朝、あまり良くない知らせが届いた。本当なら、日を待って一斉に芦名へ総攻撃をかけるはずだったのだが、待つのに痺れを切らしたのか、別働隊の原田左馬助率いる伊達軍が、芦名と交戦し、敗走したらしいのだ。
 成実の芦名側の武将、松本弾正を寝返らせる交渉が長引いたため、芦名の挑発に功を競った原田左馬助が突出したのだろう、と大方の本陣にいる武将たちは考えているようだった。おかげで、政宗は朝から機嫌が悪い。最高潮だ。政宗の周囲には青白い雷が時折見えて、近づくと静電気が走る。
 だれか、避雷針持ってきてよ。
 原田左馬助は敗走したものの、なんとか軍列を保って撤退したらしく、無事に本陣に到着するだろうとのことだった。とはいえ、敗走する伊達の別働隊を追って、芦名軍が追いかけてきているようなので、あまりうかうかしていられない。
 敗走した原田左馬助の軍と本陣にいる伊達軍をあわせても、芦名全軍にはかなわない。勝てるとしたら、成実が交渉している松本弾正が寝返れば……五分五分にもっていけるかも知れない。
 だが、成実は戻ってこず、あまりいい成果を聞かない。
 ここは、撤退が望ましいと思うのだが、原田左馬助と合流し、成実が戻ってくるまでこのままだとすれば……撤退するときに、芦名と一戦交えないといけないだろう。
 どっちにしても、伊達軍は不利だ。

 ……そして、これは無駄な出兵だろう。

 昼近くになって、ようやく原田左馬助が合流した。すぐ後ろに芦名の軍勢という最悪のシナリオを考えていたのだが、そこまで手ひどく追い上げられていないようだ。でも、芦名が本陣に攻め込むのも時間の問題だろう。
 敗走して、萎縮している原田左馬助に、政宗は何も言わず無言で原田左馬助を睨みつけた後、無言で立ち上がり、平伏している原田左馬助の前から立ち去った。何かと思えば、陣の端で六爪を振り回し近くにあった木々を切り刻んでいた。あまりの荒れ具合に、小十郎が慌てて政宗を止めていた。
 小十郎にも詰め寄らん勢いだったが、何を言われたのか政宗は、ぐっと唇をかみ締めて六爪を鞘にしまった。
 おお! 忠臣の見本みたいなやり取りだ。
「成実は、まだか?」
 政宗の押し殺した声が、痛々しい。
「まだ、音沙汰ございません」
「……撤退の準備だけしておけ」
 その日の夕方、成実は単騎敵陣を駆け抜けて戻ってきたが、どうやら寝返りの交渉は失敗したようだった。芦名勢も、兵士に休息を取らせるため、今晩中には攻めてこないようだった。


 翌朝、私はぴりりっとした空気の痛さに目が覚めた。敵襲の知らせはない。だけれど、朝もやでぼんやりとした、のどかな朝の光景が私には、例えるなら、みんなの前で何かを発表するときの緊張感にも似たものにみえた。
 私は、手早く着替えて袖に拳銃やら弾丸やらをつめ終わったら、ひゅん、と多数の風を切る音が聞こえ、それと同時に「敵襲!」という見張りの叫び声が陣内に響き渡る。
 芦名勢が攻撃を仕掛けてきたのだ。

 ついに、戦が始まった……!

 私は、小十郎の指示にと従うことになっているので、すぐに小十郎を探して陣内をかけた。小十郎はすでに、自分の率いる部隊にいろいろ指示を出しているようだ。
「片倉殿、ご命令を」
「応戦しつつ撤退する。俺たちが先陣を切り、敵軍の中を突っ切る」
「殿は?」
「俺たちと一緒だ。ほかのものたちがそれに続いて、米沢まで逃げ切る」
 政宗もすぐに現れて、陣形を立て直すように大声で命令している。個人個人でばらばらに逃げたら、取り囲まれて殺されるだけだ。
「小十郎の隊は、俺について来い。敵陣を突破する」
 密集した陣形になりながら、芦名軍の陣地の中を突っ切り、そのまま猪苗代湖を迂回して米沢まで逃げ切るらしい。当然、地の利を生かした芦名の軍勢が追い討ちをかけてくるだろう。
「しんがりは、左馬助、お前の部隊がやれ」
 政宗は、絶対零度の冷たい声で命じた。一片の情のない声だ。確かに、危機に陥ったのは、原田左馬助の所為かも知れないが、戦の責任は総大将にある。政宗が冷静に命令することができなければ、この先長くはないだろう。
 特に、しんがりは、敵陣の中でもっとも踏みとどまるため生存率はきわめて低い。政宗としては、「死んでしまえ」とでも言いたい心理なんだろう。
「let's Go」
 政宗の声を合図に、私は馬に乗って駆け出した。両手には私の命を守る鉄砲。鬨の声が戦場にこだまする。私は、襲い掛かってくる槍を持った兵士に、銃口を向け引き金を引いた。
 空気の爆発音がして、眉間に弾丸の埋まった兵士が目を見開いたまま後ろに倒れた。
「人を……殺した」
 銃声が響いたせいで、芦名勢は私が要注意人物と思ったのだろう。何人もの兵士たちがよってたかって、私の命を狙ってきた。
 続けざまに、二回、三回、四回……と引き金を引いた。人を殺したことで感慨ふける暇もない。相手よりも早く反応して、引き金を引かないと私が、死ぬ。
 五回、六回と引き金を引いて私は、着物の袖を一振りして袖の中で拳銃の弾を装填した。
 殺したくない相手も、殺す。
 芦名の旗を持っているから、殺す。
 一人ひとりは、親がいたり、兄弟がいたり、恋人がいたり……帰ってくるのを待っている人たちがいるのだろう。私たち伊達軍と、何が違うのか。でも、持っている旗が違うから、殺しあう。
 それが、戦場なんだ。
 噎せ返りそうな、血の匂いの中を私は風となって駆け抜けた。



ひとこと

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