弦月の向こうに

海道一の弓取り

 旅は順調だった。葛の葉が旅の道案内をしてくれているのもあるし、不思議な力のおかげで驚くほど疲れなかった。馬での旅は、馬の維持にお金がかかる上に目立つので野党に狙われやすい。徒歩で旅をするしかないのだ。
「まずは、どの国を?」
「海道一の弓取りと評判の今川義元……殿を見てみたいな」
「ならば駿河に参りましょう。ここよりも、過ごしやすいところにございます」
 私のイメージする今川義元は、平安時代の貴族の男みたいな格好で、白塗りに眉、鉄漿をつけているといった顔で、寸胴であるため重くて馬に乗れないので、輿に乗っているというものだ。そんなに弱いから、織田信長に敗れたのだと歴史の授業でも習ったような気がするのだけれど、違うのかな?
 葛の葉が話す今川義元は、政治にも外交にも優れ駿河を商業の盛んな富める国にしているらしい。彼の懐刀は、太原雪斎というお坊さんで黒衣の僧侶姿で戦場にも出るらしい。お坊さんが戦うなんて想像つかないのだけれど、どんな人なのだろう。葛の葉の知っている今川義元と、私の知っている今川義元では雲泥の差がある。どちらが一体本当の彼なのだろう。
「いきなり、今川様の屋敷に行っても会えないよね」
「……そうですね……太原様でしたら私も存じ上げているので、会うことも可能です」
「戦う黒衣の僧侶ね」
 私がそういうと、葛の葉はくすり、と笑みを浮かべた。
「太原様は、癖のある方ですが彼を納得させれば、今川様にもお会いできると思います」
「癖のあるお坊さんねぇ……」
 僧侶姿で馬にまたがって戦場を駆け巡っているというだけで、十分癖のある人だとは思うのだが、葛の葉の語り口調だと、一癖もふた癖もありそうだ。共に今川義元と戦場にあるというのだから、軍師なのだろう。


 駿河に向かう途中で、富士山が見えた。相模の国と葛の葉が言っていたので今の神奈川県のあたりなのだろう。北条家が治めている国だ。今川とは長年ずっと国境付近で小競り合いをしてきたのだが数年前に同盟を結んだのだという。
「富士山てあんなに大きいのね」
 有名な東海道五十三次の浮世絵で、どどーんと大きく描かれた富士山をみて「おおげさだろう」と思ったのだけれど周囲には、大きな建物などなく、草原か森、林に囲まれているこの時代では富士山の存在感は圧倒的だった。
 確かに、絶景だ。
「富士山がよく見えているので、しばらくは晴れのようですね」
 青空に、すくっと胸を張っているかのようにそびえている富士山は、とても綺麗で嫌なことも忘れさせてくれそうだった。


 太原雪斎という人は、お坊さんだと聞いていたので、線の細いひょろっとした人を想像していた。駿河の太原雪斎の屋敷で葛の葉の手引きで太原雪斎本人と向かい合わせに座っている。最初に太原雪斎を見たときに、私はひょろっとしたイメージを打ち壊された。がっしりとした、エネルギッシュな風体で、黒衣の袈裟が本来なら隔絶した世界を現しているのに、嫌なほどに存在感がある。オーラの見える人なら、きっとこの人のオーラはぎんぎらしているのが見えるのではないかと思ってしまう。
殿は、旅をされているとか……以前おられた国はどのようでしたかな?」
 重低音で威厳のある声で、話されると穏やかな口調であるにもかかわらず、プレッシャーがかかる。
「以前は、奥州におりました。雪の深い土地です」
「ほう、奥州……そこは、統一されず今だ、争いの多い国と聞いておりますが……女性の身では大変だったのでは、ありませんか?」
「伊達政宗様の下におりましたので、争いごととは無縁でございました」
 無縁ではなかったけれど、この人に自分も戦場に出てますなんて、情報を伝える必要はないはずだ。
「最近家督を継いだばかりの、伊達殿ですか。暴れ者と有名ですが意外と、お優しい一面もあると見える」
 暴れ者……独眼竜の異名で世間に知れ渡るのは、まだ先のことなのだろうか。
「伊達殿といえば、檜原口での合戦がありましたが、殿はその戦、お聞きになりましたか?」
 檜原口の合戦といえば、私も参加したあの戦で、伊達勢が這う這うの体で退却した負け戦だ。
「噂程度には」
「伊達殿は、どのような戦い方をされるのでしょうな?」
「さあ、私には稲妻のように戦うとしか、聞いておりません」
 正直に言うものですか。
「葛葉からは、食客として駿河に滞在を希望と伺いましたが……殿はどのような戦い方を?」
「接近戦で、短筒を使います」
「種子島(火縄銃)でさえ、手に入れるのが難しいのに短筒をお使いとは、さぞ腕も宜しいのでしょうな」
 火縄銃がめずらしい……?
 愛姫は意図も簡単に手に入れていたからこの世界では普及率がいいのかと思っていたが、そうではないみたいだ。特殊なルートでもあるのだろうか。
「それは、戦のときにいずれ……」
「森羅万象をあやつることはできますかな?」
「風の加護を受けております」
 私は、右手の指先を鳴らして部屋の中を吹き抜ける風をつくりだした。それをみて、雪斎はにやり、と黒い笑みを浮かべて言った。
「わが主にご紹介しましょう。これは、面白い人が訪れてくれました……」


 誰だ、今川義元は麻呂顔で、自堕落で寸胴だと私にイメージを植え付けたのは……!
 私の目の前には、上座に優雅に座っている今川義元がいる。年のころは、二十代後半から三十代前半だろうか。切れ長の瞳に、整った鼻梁。きっちりと結い上げられた髪は黒々と美しく、肌の色艶は健康的だ。狩衣の色の合わせだって、上品で高そうな模様の入った布地を使っている。どうみても、美青年。金持ちのお坊ちゃんのような所作の美しさだけれど、そういうお坊ちゃんにありがちな甘えたところがまったくなく、鋭い猛禽類を思わせるような視線が自力で今の地位を築き上げた人なのだと思い知らされる。
「雪斎が紹介するから、どんな厳つい武士かと思えば、花も恥らうような乙女ではないか」
 声がまた、艶のある響きでどこか京都のなまりがある。
「殿、外見だけに惑わされてはなりませぬ。数少ない短筒の使い手にございます」
 雪斎の言葉に、義元は広げていた扇を片手でぱちり、と閉じた。
「女、名前は?」
と申します」
とやら、なぜ駿河を選んだ?」
 義元は、上座から私のいるところまで歩いてしゃがみこんで座っている私の顔を上げさせた。 秀麗な顔が私の目の前にある。
「天下に一番近いと、伺いました」
「わしが、天下を取れると思うか?」
 私は即答できなかった。たしかに、この世界なら天下を取るかもしれない。でも……。
「そこは、即答せねばならぬところよ!」
 義元は私の顎を乱暴に突き放して立ち上がった。
「この今川義元は、天下を武にて奪えども、法によって天下を治むる! そう、伊達殿に伝えよ。伊達の間者よ」
「伊達の間者ではございません」
 確かに、政宗に有用な情報があれば葛の葉に托そうと思っていたけれど、それは伊達家に命じられたからではない。少しでも助けてくれた伊達の人たちへのせめてもの恩返しだ。
 私の返答に、にやり、と今川義元は笑った。
「ならば、奥州の伊達家についてすべて話してもらうぞ、伊達政宗の庇護下にあった短筒使い」
 今川家の間者も優秀なようで、私が伊達政宗と共に戦場にあったことを今川義元は知っていたのだ。それを、しれっとした顔で「花も恥らう乙女」といってしまえるあたりが、私よりも上手だ。
「別に話さなくても良いのだぞ。だが、そのときは今川家の食客として雇わない、それだけだ」
 私が知っていることは、今川家の間者たちだって調べつくしていることのはずだ。それに、この先どこへ行っても、敵地の情報と交換に雇う、というところばかりのはずだ。
 どうせなら、「天下を武にて奪えども、法によって天下を治る」なんて言い放った今川義元をみてみるのも面白いかもしれない。
 今川義元は、ちゃんと目的があって天下を取ろうとしているようだけれど、政宗はそういうことを考えていたのだろうか。男と生まれたからには、天下を取ってやる! という気概が強かったように思うけれど、そういう親しい話もしないうちに、私は政宗の基からさってしまったのかと思うと、少しだけ寂しかった。
「奥州についてお話しましょう」
 私は、奥州で生活した数ヶ月について思い出しながら話した。軍事に役立ちそうなことばかりを選んで話しているので、奥州の気候や風土、伊達家を支えている人物の話だ。
 だけれど、決まって思い出すのは伊達政宗のこと。嫌味なほど自信家で、高飛車なところがあるけれど、それが憎めなくて、世界は俺様を中心に回っている、といわんばかりの生まれながらの王様気質で。戦場でみせた、鋭い視線と厳しい表情。普段の意地の悪い微笑や、時折みせる優しい笑顔。そんなことばかりが、簡単に思い出せる。
 私、相当、彼が……。



ひとこと

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